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【名歌鑑賞1−1】 森 明わたつ海の豊旗雲に入日さし今宵の月夜清明くこそ (万葉集1・15) なんたる荘厳。なんたる雄渾。名歌中の名歌。古今における短歌の至宝。いくら誉めても誉め尽きることがない。今まさに没しようとしている夕陽。赤く映える空と雲と海。そして、それを兆として確信される未来の姿。自然の壮大な場景とそれに対峙する人間の想いが、三十一文字の短い言葉の中に見事に映し出されている。 歌意は、「夕陽が、海上にたなびく大きな旗雲を赤く染めて今沈もうとしている。きっと今夜は、煌々と清んだ月夜となるに違いない」とでもなろうか。ここには、誇大なレトリックは何一つ見当たらない。平明無比な表現にも関わらず、大自然の姿が人間の畏敬の念とともに、ありのままに伝わって来る。この歌を読むとき、私は何時でも深い感動と快い余韻を憶える。 この歌の印象は、1)雄大2)雄渾3)荘重等という言葉に集約できる。「雄大さ」や「荘重」の印象は、歌の対象としている場景の大きさから、また「雄渾」の印象は、「わたつみ(海神)」や「豊旗雲」等の言葉、そして語尾の「こそ」から伝わって来る。しかも、これ程壮大な場景を対象としていながら歌の言葉に少しの違和も揺らぎもない。上句の重みを、下句がどっしりと支えている。またこの歌は、単なる場景の表現に止まっていない。未来を推測する人間の知的行為も含まれている。 ところで、この歌の良さは、上句の「入日の場景」と下句の「清明な月夜」との関係が実感できないと今一つ納得できないのではなかろうか。この理解が、或る人にとっては名歌であっても、人によってはそれ程では無いという違いを生む原因になると考えられる。 現代人は、地球の自転から、気象が西の方角から変わって来ることを知っている。しかし、気象学の存在しなかった古代には、天候の予測は、多くの経験則に頼るものであったろう。特に、海の生活者には、それが即、漁の出来不出来や生死にも関わることから、予測のための知識が豊富に蓄積されていたと考えられる。彼等は、「夕焼け」がその夜の「晴天=月夜」の前兆であることを承知していた。そしてこの歌の作者も、このことを知悉していたからこそ、この歌を作り得たと考えるのである。 歌は、受け取る側の気持次第で印象が大きく変るものだ。この歌が、誰によって(真の作者の意)どのような意図、経緯で作られたかは知らない。しかし、当時日本は、超大国唐の勃興、朝鮮半島における友好拠点の弱体化等、国際社会の中で緊迫した情勢に追い込まれていた。恐らく、人々は迫り来る戦争の不安と恐怖に慄き、何か心の拠り所を求めていたのではなかろうか。 そんな時、この歌を耳にした人々は、あたかも大自然の加護、恩寵による、自分たちの未来への寿ぎが予告されたように、強い感動と勇気を憶えたのではなかろうか。もしもこの歌が、百済支援軍の出征を前にして詠われ被露されたのであれば、なおさらであったろう。当時の人々の強い感銘の記憶が、この歌が歴史に残る名歌として永く伝来する由来となったと考えるのである。 さて、我々は結果を知っている。663年、日本軍は、唐と新羅連合軍が待ち構える白村江に突入した。連合軍は大船を並べ、しかも鉄鎖を海中に巡らし待ち構えていた。敗北は瞬時であったという。日本の軍船はたちまち動きを封じられ、そこで火矢をいかけられたのである。 兵士は、敵に対したとき身震いを感じたであろう。相手は装備も異なり、大敵であることはすぐ理解できたはずだ。それでなお突貫したのである。同胞としてはその勇気を称えたい。しかしだ、軍略もなにも無かった。拙劣と言われても仕方が無い。おそらく殆ど何も相手のことを知らなかったのではなかろうか。そんな中で従軍しなければならなかった兵士達の気持ちはどんなだったか。突入するとき、兵士はこの歌を思い出し勇気を奮い起こしたのであろうか?勇気は必要であるが十分では無い。となると、この歌はむしろ罪作りということになってしまうのだが・・・? ところで、名歌の故にか、この歌には実は多くの異説が存在するのである。 (2003.06.15) |
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「名歌鑑賞1−2」 森 明わたつ海の豊旗雲に入日みし今宵の月夜清明くこそ (万1・15) 異説の一つは、「入日さし」を「入日みし」と訓ずる立場である。これには、文献的な根拠があって、「さし」とよむ「沙之」「称之」「佐之」等に対し、「みし」とよませる「弥之」(元暦本、類聚古集、冷泉本)の用例があるからである。結構有力な説で、最近刊行された幾つかの書籍にも採用されている。しかし、私は採らない。これは、あくまでも写本の誤植であろう。 何故なら、「みし=見し」では、凡歌になってしまうと考えるからである。この場合歌意は、「豊旗雲と入日を見た」あるいは、「日が豊旗雲に入るのを見た」等ということになる。しかし、これでは「さし」のように、雲に夕日がさして赤く映えている様子が表現されていない。入日と雲の並立によってそれは容易に類推できるというかも知れないが、そうだろうか?夕日と雲がそれぞれに描かれた場景を描いてみればよく分かるだろう。歌を詠む場合、「さし」は省くことのできない、必ず入れなければならない(つまり読者に伝えなければならない)不可欠の言葉なのである。 逆に、むしろ「みし」は不要である。眼前にある光景をわざわざ「見る(た)」だの「見える(た)」だのといちいちことわる必要は全くない。客体として横たわる大自然は、「入日がさしている」との認識だけで充分表現できている。それを敢えて「みし」と、くどく述べることは言葉の重複である。短歌のような短詩形では、無駄語や重複語はあるだけで瑕疵作品に成り下がる(適切な強調の場合は別だが)。しかも、重要な言葉「さし」をさしおいておやだ。これではもう名歌では無くなる。 もちろん、この歌が日没の場景を目の当たりにして即興で詠われたかどうかは分からない。秀歌は、むしろしばらく間をおいてから、その場景を思い出したときに生まれる場合が多い。人間の頭脳の中であらゆる知識や経験が融合され、取捨選択されて歌として再構成されるからである。だからこの歌も、日没の後に記憶によって作られたのかもしれない。だから、「見た」の過去形で詠まれたと。しかし、たとえその場合であっても、歌はその場景を眼前にしているかのように詠むべきなのである。 このことは誰にでも解ることなのに、では、何故「みし」にこだわるのか。どうもこの説は、末尾の助詞「こそ」の文法上の制約から論理づけられる帰結のようなのだ。このように読まないと文法上おかしいという律儀な結果から。 この文法上の論議は、ここではややこしくなるので詳しくは紹介しないが、要は「こそ」を、「強調」(「断定」)の係助詞にとるか、「願望」の終助詞にとるかという2説である。 前者の「強調」(「断定」)の助詞とすると、現在の場景から未来を「明く」と「断定」するのはおかしいと言うことになる。だから、ここは「みし=見た」という過去形でなければならないと。したがって、「みし」説は「こそ」を「断定」の助詞ととる立場とかかわりが深い説である。 しかし、これでつじつまが合うだろうか?合わない。何故なら、この歌を詠んだ時が仮に日没後であったとしても、少なくとも、月夜の前に詠まれたことは間違いない。とすれば、いずれにしても「月夜」は未来事象になるからである。「月夜」は、目の当たりにした夕焼けの時刻からも、歌を詠んだとする日没後の時刻からも「未来」に変わりはない。いずれの場合でも未来を「断定」することはできない筈である。 それでは、一方の「願望」説はどうか?この場合の欠点は歌の力が弱まることである。歌が本来の「力強さ(雄渾さ)」を失ってしまう。第一、「入日」によって「清明な月夜」を願望するという必然性が理解できない。表現が唐突といわなければならない。これではとても、歌に当時の人々の不安を払拭し得たような霊力が見出せない。それに、もし「希望」であるなら「明けこそ」でなければならないのではないか?だから私は、この「こそ」は、単なる「希望」や「願望」の助詞ではないと考える。 こうみると、どちらの用法も私には不適切に思えるのである。私は、この「こそ」は「確信」を表す助詞であって、初めて歌意が違和なく理解できると考える。人間の強い確信。しかも、「に違いない」という断定に近い「信念」。これでこそ、強大な上句を支え得る強靭な下句に成り得ると考える。 では、この「確信」は何処から来るのか。それは、累積された事実からである。前回にものべたように、古代、「夕焼け」と「晴天」の繋がりは経験則として認識されていた。赤々とした夕映えの出現は、明るい月夜を約束していた。そして、この知識が一般周知であったからこそ、この歌が「大自然による寿ぎの宣告」として、人々に受け入れられ、共感という感動を与えることができたのだと。 では、「こそ」の「確信」としての用法に文法上の誤りは無いのか?改めて古語辞典を調べても、確かにこの「確信」の用法が記載されていない。しかしだ、どうか「経験則に基ずく確信」でこの歌を説明して欲しい。もしそれが不可と言うのであれば、むしろ私は、文法にこそこの用法を加えるべきだと思う。根拠は、何よりもこの歌の存在、使用例によってである。 論議はまだまだ尽きない。(以下次号) (2003.06.15) |
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「名歌鑑賞1−3」 森 明わたつ海の豊旗雲に入日さし今宵の月夜清明くこそ (万1・15) 次の論議は「清明くこそ」の読み方である。このよみは、古来様々であったが、江戸時代、賀茂真淵が「アキラケクコソ」の訓を主張し今日の主流となっている。確かに、声調という点からは首肯できる。雄渾なこの歌にふさわしい。しかし、私は、「清明」の「清」がどうしても引っかかるのである。この歌の月夜は、雲一つ無い煌煌たる月夜をイメージする。現代の都会のように、空気が汚れ、かつ豊富な夜の灯りに霞んだ空を見慣れた者には想像つかないであろうが、田舎の本当に蒼白く明るい月夜を経験した私には、この「清」の意味が良くわかるのである。単なる明るいとは違う、煌煌とした白い明るさ。「アキラケクコソ」には、残念ながら、この「清」の感じが表現できていない。足りない感じがする。 その他の読みかたを列挙すれば、「アキラケクコソ」(「私注」「窪田注釈」)の他は、「スミアカリコソ」(「全註釈」)「サヤニテリコソ」(「古典大系」「和歌文学大系」)「サヤケクアリコソ」(「古典集成」「全注」「釈注」)「サヤケカリコソ」(「新編全集」)「マサヤカニコソ」(「注釈」)他にも「スミアカクコソ」「サヤケシトコソ」「サヤケクモコソ」「キヨクテアリコソ」「キヨクテリコソ」「キヨクテルコソ」「キヨクアカリコソ」「キヨラケクコソ」「マサヤケクコソ」等があると言われている。いずれも「清」を意識した訓にはなっている。ただ、それぞれの根拠について明らかではないが、どれも今一つ私には腑に落ちないのである。 では、どう読めばいいのか?私は、この「清」をどうしても訓のなかに入れたい。原文は、「清明己曾」である。「己曾」は「こそ」と読むことで一致している。古代、短歌の57577は概ね正確に詠まれていたから、第五句の7文字のうち、「こそ」の2文字を引いた5文字が「清明」の訓であることに異存はないだろう。 私は、学者ではないから、学問的な検討は別に置いて、一歌詠みとしての結論だけを述べよう。「清明」のうち「明」を私は「アク」とよみたい。日月の新しい状態へ移行する意味の「明く」という動詞にである。したがって、「清」は残りの3文字であるから、候補として2例、副詞の「サヤニ」と形容詞「キヨシ」の連用形の「キヨク」のどちらかをあてたい。したがって、「清明」は、「サヤニアク」かまたは「キヨクアク」ということになる。 ではどちらを選ぶか?「サヤニ」は有力であるが、この副詞は、万葉集中の他の用例では、「清尓」で用いられている。この歌だけを例外とする根拠は薄い。となると、「清」一字での用法は、「キヨク」ということになる。 歌では「今宵の月夜」と言っているのだから、月夜になることはもうわかっているのである。(くどく言えば、「明く」ことはわかっているのである。)問題は、どんなふうに明けるかだ。「清明」とは「特別に鮮やかに明ける」つまり「煌煌と明ける」の意味なのだ。だからこそ、当時不安に慄いていた人々の心に、(あたかも大自然の加護、恩寵による特別の「寿ぎ」があるかのように)、強く響いたと考えるのである。 わたつ海の豊旗雲に入日さし今宵の月夜清く明くこそ (万1・15) 「海上にたなびく大きな旗雲に入日がさして赤く映えている。きっと、今夜の月夜は煌々と明けるに違いない」 万葉集には、この歌は中大兄(皇子)歌となっている。が明らかにこの書き方は、真の作者が別にいたことを示唆している。詮索は無用かもしれないが、恐らく真相は、中大兄皇子が詠草の献上を命じたのではなかろうか。当時、戦争を前にして人々の心を奮い立たせる必要があった。いくつか提出されたもののうち、優れたものが中大兄作として残り、万葉集に収録されたと考えるのである。だから、真の作者はわからない。のであるが、当時、これほどの歌が詠える人物となると、中西進氏の指摘されるように、額田王説が最も有力であることは間違い無いだろう。私は、少なくとも海洋気象を知悉している海辺育ちの人物と推測するがどうであろうか。 本稿 了。 次回、【名歌鑑賞2】 (2003.06.15) <参考文献> 1.万葉集 和歌文学大系1 稲岡耕二著 (平成9年 明治書院) 2.万葉集全講 武田祐吉著 (昭和30年 明治書院) 3.万葉集釈注 伊藤 博著 (1995年 集英社) 4.校訂 万葉集 中西 進著 (平成7年 角川書店) 5.万葉の歌人と作品 神野隆光、坂本信幸共著 (1999年 和泉書院) 6.万葉集 古典文学解釈講座 古典文学教材研究会編 管野雅雄監 (1994年 三友社出版) |