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HH308181.DOC 【名歌鑑賞 3】 2003年12月15日 森 明<万葉集巻一・16> 原文: 「冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼杼 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者」 釈文: 「冬ごもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山も茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山われは」
この長歌は、春秋優劣判別歌として額田王の名を高からしめている代表歌の一つである。詞書きによれば、「天智天皇が、内大臣藤原朝臣(鎌足)に詔して、春山と秋山とその美を競いあわせたときに、額田王が歌で判定した作品」ということである。 実はこの記述は正確ではない。藤原の姓は、鎌足の死の直前に与えられたものであるし、朝臣の位は、後の天武13年(西暦684年)「八色の姓」で制定されたものだからである。では、明らかに後になって追加されたこの題詞が、全部疑わしいかと言えば必ずしもそうではない。これに類したことがあったことは充分に納得できる。何故なら、こうした歌は、何かのきっかけがないと自主的には作成されないものだからである。 前述したように、古来この歌は、額田王が春秋の優劣を判わり、「秋山」に勝ちを与えた歌と解釈されてきた。近年の注釈も概ねそうなっている。無理も無い、題詞に「判る歌」とあるのだから。しかし、本当にそうだろうか?というのは、優劣判定の論旨、つまり歌の意味となると、殆ど支離滅裂といった感じでどうにも私には納得し難いからだ。 この歌は、長歌であるにもかかわらず反歌を持っていない。古い歌謡と違って、この頃は、少なくとも一つは持っていたから珍しい形式であると言えよう。もっとも、題詞にあるような詩席は、当時は漢詩が主体であった筈であるから、それに合わせて作ったと考えられなくも無い。長歌はそれ程長いわけではないが、理解し易くするために作品を分割してみると、「冬部+春部+秋部+終部」の4部構成になっていることがわかる。 最初の冬部は短く、「冬木成」の3文字だけである。ここは、古くは「冬きなり」あるいは「冬こなり」と読まれてきた。しかし、最近の研究では、「冬ごもり」と読み、次に来る春の枕詞とする考えが主流になっている。根拠は、他の用例からの類推による。しかし、ここでは判断を留保しておこう。本来、部分の解釈は、あくまでもその作品全体の文意の中で斟酌されるべきと考えるからである。 春の部分は、「春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山も茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず」とある。対句で構成されており、特に難しい語句は見当たらない。 だが、「山も茂み、入りても取らず、草深み、取りても見ず」とはどういうことなのか?無理にでも「分け入って取り、見ればいい」ものを何故そうしないのだろうか。ここが解りにくい。ここは、「春山」の否定論理として最も枢要な部分である。…それにしては論拠が脆弱と言えないだろうか?……。 私の結論はこうである。私は、この長歌は、「時の経過」を念頭に入れて初めて読み解くことがきると考える。つまりここは、「春山の否定」なのでは無く、「自分がもう歳をとって、過去には戻ることができない状態」を、婉曲に表現したものと考えるのである。 「山も茂み、草深み」とは、言わば喩えであって、「歳月の遠い彼方に去って」の意味である、と。そのため、今の額田王には、もはや、「鳥がさえずり、花が咲いた」かっての春山(=青春時代)を「取って、見る」ことが叶わないのである、と。 このように読むと、次の秋の部分「秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く」も容易に理解できる。「黄葉を取りてそ偲ふ」は「昔を思い出しては偲び」であり、「青葉をば置きてそ嘆く」は「若かった頃のことを懐かしんで嘆いている」と解することができる。 春山と違って、「黄葉を手に取る」ことが出来るのは、自分が「今、秋山に居る」からである。しかし、その「手に取ることのできるもの」と言えば、追憶であり、懐古であり、嘆きの落葉になってしまっているのではあるが。 すると、終部の「そこし恨めし、秋山我は」とは、「そんな風に恨みがましい秋山です。(今の)私は」の意味になる。「秋山がいい(勝ち)」と言っているのではない。「自分は今、秋山そのものだ」と言っているのである。「恨む」とは、自己の実現不可能事を嘆く言葉とされている。他の誰かを「怨む」のでなく、「恨」の字が使われていることに留意するべきである。 戻って、冒頭の冬部、「冬木成」を考えてみよう。現在は春の枕詞の「冬ごもり」がほぼ定訓になっていると述べた。しかし見てのとおり、この歌は、「額田王の(女性の)半生」を「春山の秋山への移り変わり」に見立てた比喩歌であった。 すると、「冬木」とは、「枯木」または「子供」の喩えと考えた方がよさそうである。「成」とは、それが「茂って」、あるいは「成長して」「大人になって」の意味になる。とすれば、「冬木成」は、「冬ごもり」よりも、むしろ旧訓の「冬きなり」または「冬こなり」の読みの方がふさわしいことになる。 長歌を現代語に意訳すると、次のようになるだろう。 「冬(幼い、枯)木もようやく茂って 秋山の木の葉を見ると そんな恨みがましい秋山なのです、(今の)私は」 さあ、歌の全様が理解できた。王は、「自分は今はもう、昔を偲び、懐かしんでいる秋山にすぎない」ことを切々と訴える。歌には「秋山がすばらしい」という言葉は、どこにも見当たらない。 「春は、もう手に取ることができない」とか、「自分は恨めしい秋山そのものだ」との嘆きは、かっての春山を懐かしんでいることに他ならない。そこには「春」を失った悲しみの心情があふれている。最後は、真に迫って、うっすら涙さえ浮かべていただろうか。この歌に込められた、王の孤独と寂しさの嘆きが伝わってくる。 どうだろうか。これを見ると、歌は王の心述歌であって、優劣の判定歌では無いことがはっきりと了解できる。ましてや、「秋山」に軍配を上げた歌では決して無い。ところが、題詞には「判わる歌」とある。ここに全ての誤解の根源があったのだ。この記述の存在こそが、古来この歌の解釈を混乱に貶めた張本であったと私は考えるのである。 しかし、もし歌意と題詞とに齟齬がある場合は、当然、題詞の方こそが疑われるべきである。思うに、明らかに後代の、この題詞の記載者は、作歌事情の伝承と、歌の最後の「秋山、我は」の言葉から、単純に「判る歌」と誤断してしまったのではなかろうか。本当は、単に「〜時、額田王の作る歌」とするべきだった。 では一体、この作詠の本意は何だったのか?私は、何よりもまず王自身の自傷による閉塞の開放、慰藉であったと思う。そして同時にまた、自分を省みない相手、恐らくは天智天皇に対する訴えではなかったかと。己の寂しさを伝えるための。 だから私は、歌は詩席で披露されたかも知れないが、王自身はそこに連なっていなかったと考える。詩宴の、その遊興の性質から言って、自分で発表するには、歌が生すぎて不向きと考えるのと、こうした訴えは、直接より間接の方がうまく伝わると思うからである。 憶測するに、歌作の時期は、大津京に遷都(天智6年、667年)する前後、恐らくはそれ以前と考えられる。この頃額田王は、天智天皇の後宮にあった。年齢はすでに35歳は過ぎていたと推定される。現代であれば、まだまだこれからともいえる年齢であるが、当時の宮廷の中では、盛りをすぎてしまっていた。 もう過去の人になってしまった。という自覚とあせり、悲しみ。省みられない孤独の寂しさがもう若くは無い王を苦しめていた。そんな時に、詩宴は(中臣鎌足は)格好の機会と題材とをもたらしたのである。 話を聞いた額田王は、早速に自分の心境を歌に託した。殆ど即詠に近かったのではなかろうか。だから反歌が無かったと。いや、反歌は、伝えたい相手、つまり天智天皇に委ねる意味があったかとも。 王の率直さが歌を優れた抒情作品にした。もしこれが機知、才知の作品であったとしたら、(面白いかもしれないが)人の心を動かすことはできなかったかも知れない。だからこそ、実際の宴席で作詠されたであろう他の作品(漢詩か)の記録は残らず、この歌だけが残されたのである。 では、結果はどうだったのだろうか?万葉集にその記述はない。が、貴方ならどうされますか?この歌を伝え聞いた天智天皇はどうされたか、貴方が成り変わって判断してみていただきたい。宮廷の生活は華やかな反面辛く過酷でもあった。しかし、王はまだ恵まれていたかもしれない。何よりも歌によって自らの心情を吐露しそれを伝えることができたのだから。 大友皇子と十市皇女の婚姻が発表されたのは、それから暫くしてからであった。等と私は勝手な夢想をして楽しんでいるのである。 本稿 了。 次回、【名歌鑑賞 4】 (2003.12.15) <参考文献> 1.万葉集 和歌文学大系1 稲岡耕二著 (平成9年 明治書院) 2.万葉集全講 武田祐吉著 (昭和30年 明治書院) 3.万葉集釈注 伊藤 博著 (1995年 集英社) 4.校訂 万葉集 中西 進著 (平成7年 角川書店) 5.万葉の歌人と作品 神野隆光、坂本信幸共著 (1999年 和泉) 6.万葉集 古典文学解釈講座 古典文学教材研究会編 管野雅雄監 (1994年 三友社出版)) 7.額田王の実像 カラーブックス 863 松田修 保育社 昭和41年4月1日初刷り 8.紫のにほえる妹 向井毬夫 集英社 1997.03.19 9.万葉王族歌人群像 北島徹 世界思想社 1992.11.20 10.額田姫王 精選復刻紀伊国屋新書 谷馨紀 伊国屋書店 1994.01.25 11.萬葉集 新日本古典文学大系 岩波書店 1999.05.20 12.萬葉集 私注 土屋文明 筑摩書房 昭和51年3月5日 |