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HH310272.DOC 【名歌鑑賞 4】 森 明<万葉集巻二・165・166歌> 原文: 165歌: 166歌: 後注: 釈文: 165歌: 166歌: 後注: 二首は、古今屈指の名歌であると言うことができる。大来皇女の歌は、弟の大津皇子に関わる短歌、全部で6首のみが万葉集に収録されている。しかし皇女は、それだけでは惜しいほどの歌の名手である、と私は思う。作品は、哀切な詠嘆に満ちながらも、極めて思索的であり、しかも強い意志を伝える歌となっている。 165歌の歌意を、私は次のように取る。「現世に生きている人間なのですね私は、明日からは、二上山を弟と見ることにしよう」と。ここには、愛する弟を失った悲しみを乗り越え、新たに生きてゆこうとする皇女の強い決意を読み取ることができる。 実は、「私は取る」等とあいまいな言い方をしたのには訳がある。異なる別の解釈があるからである。というよりも、現今ではそちらの方がむしろ主流と言っていいかも知れない。「〜吾や」の「や」を詠嘆ではなく、疑問の助詞と見なし、結句の「〜見む」の「む」を意志ではなく、推量の助動詞ととるのである。 すると、歌意は、「この世の人である私は、明日からは、二上山を弟としてながめるのでしょうか」(例えば、新日本古典文学大系(岩波書店))ということになる。この場合は、一人残され、途方にくれている(弱々しい)皇女の姿が連想される。 どちらが相応しいだろうか?私は、意志の歌ととりたい。伊藤博氏が指摘されるように、「人にある吾」「吾が見む」と、1首中での「吾」の繰り返し使用はその証左と見る。皇女にはそのように強く生きて欲しいとの、願いもある。しかしそれでは、説得力に乏しい恣意的な読み方に終わってしまうだろう。一首は、どちらの読み方にも可能性があり、解釈の甲乙は、永久の水掛け論になってしまうに違いない。本当はどちらが適切なのだろうか? 私は、この解明のヒントは、次の166歌に潜んでいると考える。ただ、この166歌についても、実は、十分な解釈がなされているとは言い難い。それは、歌が、逆説表現で「真意の隠された解りにくい歌」になっているからである。 166歌は、上句と下句のそれぞれの終句に、「ど」「に」と二つの助詞が使われていて歌の意味を複雑にしている。分かりやすくするために、例えば、結句の「に」を省いて、「磯の上に生うる馬酔木を手折らめど、見すべき君がありといわなく」という歌にしたら、どんな意味になるか、先ず考えてみよう。これはこれで立派な一首になっている。 この場合の歌意は、「磯に咲いている馬酔木を手折ろうとしても、お見せする君がいるのですね、とは誰も言わない」ということになるだろう。誰も言わない理由は、皇女には「見すべき君が居ない」ことを皆が知っているから、と解釈できる。そこには、「(居て欲しいのだが)君の居ない、孤独で寂しい皇女」の姿が浮かび上がる。 ところが、歌にはさらに、「に」が加えられている。しかも字余りの形で。この「に」はどんな意味があるのだろうか?「に(なくに)」には、「にも関わらず(手折る)」とか「けれども(手折る)」と言った逆説の意味が含まれている、と私は考える。すると、意味は「君が居ると誰も言わない、にも関わらず手折る」あるいは「君が居ない、けれども手折る」ということになる。 何故か?では一体、誰のために手折るのか?それは、「(この世に)居ない君のために手折る」つまり「死者のために手折る」と考えるしかない。この「に(なくに)」には、「死者である君のために花を手折ろう」とする、皇女の「悲痛の行為」が隠されている。「に」には、作中人物(皇女)の、万感の心情が込められている。歌からは、「今はこの世に亡き、君のために花を手折ろうとする(悲しい)皇女」の姿がほうふつと現れてくる。 もちろん、この166歌だけでは、「見すべき君の非在」は、「死別のような永遠の不在」であるとは、(予測はされるが)断定はできないかも知れない。だがこの問は、もう一方の165歌で、「うつそみの人にある吾や〜」と詠いだしていることによって、「君の非在」は一時的なものではなく「死による永遠の不在」であり、また「君」とは作中者(皇女)の「弟世」のことである、ことが確かめられる。 二首の連作は、極めて密接に連携している。しかも、題詞に頼らずとも、十分歌意が通ずるように、相互に補完する形で創作されている。そして、もう読者にはお分かりだろう。意味から言っても、歌の順番は、166歌の方こそが前に並べられるべきことが。 最初の宿題に戻って考えてみよう。165歌の「うつそみの人にある吾や〜」の「や」は、疑問の「や」なのか詠嘆の「や」なのか?最早明らかだろう。作中者(吾=皇女)はすでに、166歌で、「君の永遠の非在(死)」を認識している。とすれば「うつそみの人にある吾」は、いまさら疑問の「や」ではありえない。「や」は、詠嘆の助詞と読まなければならない。165歌は「意志の歌」なのである。 166歌:「磯(水辺)に咲いている馬酔木を手折ろうとしても、見せる君が居るのですね、とは誰も言わない(けれどもそれは、もうこの世には居ない君のために、手折ろうとしていることを皆は知っているからだ)」 別の視点から検討してみよう。題詞によれば、この連作は、刑死した弟の大津皇子が二上山への移葬されるときの、大来皇女の歌とされている。皇女の一連の歌作と、事件の経過を時系列的に俯瞰してみると、悲劇は、天武天皇の崩御の後、半年に満たない期間に起こったことがわかる。 686年 9月 9日 天武天皇崩御 実は、万葉集および日本書紀には、大津皇子の二上山への改葬の年次は明らかにされていない。しかし166歌に詠われている馬酔木は、初春の花であることを考えると、移葬の時期を、事件のあった686年の翌年687年の春と考えのが最も自然である。歌から、その状況を次のように推理できるだろう。 二上山での改葬儀に参会する往路の途上、皇女は、水辺に咲いている馬酔木の花を見つけ手折ろうとした。ところが、お付の人は、(皇女の気持ちを察し)ただ無言でそれをお受けするのであった(166歌)。そして、摘んだ花を大津皇子の新しい墓に手向けながら、あるいはその帰途に山を望見しながら、この世に生きてゆく決意を固めたのである(165歌)、と。 どうだろう。ここでも、歌順を入れ替えたほうが辻褄が合いそうである。では何故、歌の逆転が生じたのか?「後注」の存在に注目してほしい。万葉集の編集者は、166歌は、移葬時の詠草として相応しくないのではとの疑問を投げかけている。このことは、彼が、166歌の歌意を正しく掴めていなかったことを証明している。「後注」は、何らかの操作を行った故の覚書だったのではなかろうか? 推測するに、意味のよく掴めなかった編集者は、題詞に相応しいと思った歌を(本来の166歌を165歌として)前に配列し直した、と。年表に示したように、大津皇子にかかわる皇女の歌は、万葉集に全部で6首収録されている。しかしどう見ても、165歌は、それら一連の歌群の締めくくりの歌として、また以後の皇女の生き方を示す歌としても、掉尾に相応しい歌なのである。 古代、人々はどのような死生観を持ち、死別の苦悩をどのように慰めていたのであろうか。この歌のように、人間の生と死、非在と実在、といった命題を題材にした作品は珍しい。この時期、仏教はすでに輸入されていたはずである。が、歌には仏教思想の影響は見られない。 山を弟と見なす考え方には、むしろ三輪山を神体と見るような、古代思想が根底にあるように思える。それは大来皇女が伊勢神宮の斎宮にあったことと関係するかも知れない。だが、こうした代償による苦悩の解決法は、無神の現代人にも通ずる考え方のように私には感じられる。だからこそ、皇女の悲哀が強く迫ってくるのであると。 さて、気になるのは大来皇女の行く末である。幸せになってほしいが、その後どのような人生を送ったのであろうか。消息は一切伝えられていない。これから14年後(701年)、日本書紀は、皇女の死だけをひっそりと報じている。 もしかしたら、165歌と伊勢神宮に留まることを願った163、164歌とは、彼女のその後の生き方、例えば、二上山の麓に住んだというようなことを暗示しているのかも知れない、と思ったりするのだが…。 本稿 了。 次回、【名歌鑑賞 5】 (2004.03.15) <参考文献> 1.「万葉集全講」 武田祐吉 明治書院 昭和30年 2.「萬葉集」 日本古典文学大系 岩波書店 1957.05.06 3.「斎藤茂吉全集 評釈」 斎藤茂吉 岩波書店 昭和48年9月13日 4.「萬葉集私注」 土屋文明 筑摩書房 昭和51年3月5日 5.「万葉王族歌人群像」 北島徹 世界思想社 1992.11.20 6.「万葉集」 古典文学解釈講座 古典文学教材研究会編 管野雅雄監 (1994年 三友社出版) 7.「万葉集釈注」 伊藤 博 集英社 1995年 8.校訂「萬葉集」 中西 進 角川書店 平成7年1月31日 9.「万葉集」 和歌文学大系1 稲岡耕二 明治書院 平成9年 10.「萬葉集」 新日本古典文学大系 岩波書店 1999.05.20 11. セミナー「万葉の歌人と作品」 企画編集/神野志隆光、坂本信幸 和泉書院 1999.05.30 |